- Memento Mori - ◆poem◆ 日本人の二人に一人の理不尽 希少の名は上咽頭癌  俺が引いたカードは死神 強いられたステージは3C 発症時期不明 発症理由不明 診断結果は薄命 カルマと言われれば 思い当たる節は際限なくあるビヘイビア この抜き打ちの試練 俺は死ぬかもしれん 上咽頭に病み付いた細胞からのシグナルは日に日に色濃く 詰まった左耳 垂れる鼻血 涙腺を刺激するほどの頭痛 出てくる血痰 かつてない通院の繰り返しと身体精査に神経は早々に削られた 治療法は一択 化学療法併用放射線治療 期待される効果は70%の根治 伴う不利益は眩暈がするほど多い 30%の悪夢から目を覆い 入院治療期間は2ヶ月 長く険しい根治の道に同意する 心理の階段を上がる 病棟から見えるビル群は昼夜問わず別世界に映る  命の対価は実に高い 患者の夜は永く朝は重たい 治療の過酷さは余裕で想像を超えた 朝朗の採血 刺さりっぱなしの点滴  さぼれない採尿 便秘と下痢の両極 毎日、鼻から喉へ押し込まれるファイバースコープ 3週に1度トータル3度の抗がん剤全身投与 シスプラチンの強烈な通過儀礼 鼻は過敏になりティッシュすら異臭の対象 聞こえが悪い癖に煩い耳鳴り  吐き戻した胃液の中に溶けかけた薬 終わりの見えない嗚咽に困憊 合計33回にして限界数の照射 休日を除き1日1回呼ばれるライナック  焦げ、血、腐敗とも違う 放射線が細胞を殺す時の耐えがたいあの臭い 回数重ねる度に減ってく唾液 味覚は消失 カラカラに乾き張り付く喉  口内は糜爛だらけ 食事は粥以外喉を通らず やがて粥すらも危うく  ピーク知らずの痛み 食前食後就寝前の薬の量はしんどい  後頭部の髪は抜け落ち 首の皮は剥がれ  落ちてく体力 低下してく筋力 か細くなってく体  鬱屈してく精神 なくしてく自信 衰残する生命力  遂に声は出なくなる 笑顔などとっくに忘れてる  見たくないものを散々見た 嫌なものを散々見た 汚いものを散々見た 流れる血を散々見た 体の一部を失った人を散々見た  傷だらけの人を散々見た 障害をもった人を散々見た  ひとりで歩けない人を散々見た 生命維持装置を付けた人を散々見た  治らぬ病いが堪らなくて「殺してくれ」とせがむ人を見た 亡くなった人を見た… 死と間近の患者同士 共鳴し引っ張り合う暗黙の負 仕切られた薄っぺらなカーテン ただ独りベッドの上で沈んでく 世間から切り離されてく 生から切り剥がされてく 俺の愛すべき皆の顔が擦んでく  苦しみに首を絞められている最中は祈りすら遠い… 落ち着きを取り戻しても祈ってるのか 祈らされてるのか  意識は朦朧 神も仏も魂も己もぶれる  一体誰に生かされてるのだろう 一体何に生かされてるのだろう 俺の最後を知ってる死神は急がず足元で笑う 治療投げ出して 点滴引っこ抜いて 病院抜け出して  腹いっぱい皆と飯が食いたい 飲みたい 笑いたい 達者だった頃の自分に憧れながら 四六時中鳴り止まないナースコールの中  永い夜は幕を閉じ浅い眠りに落ちてく 寝覚めの悪い重たい早朝 採血の針がまた俺へ向けられる 打たれまくった腕は真っ青… 癌宣告を受けてから 何度かあった 死を歓迎した瞬間 「もういい、十分楽しんだ、後悔はない」 苦痛からの解放 軽くなった心 自分の人生を肯定出来た瞬間 「生かされる事が辛い」と死を選ぶ人の気持ち 「生きている事がきつい」と死へ向かう人の気持ち 「自分の死は近い」と悟り死を受け入れる人の気持ち そんな人達の気持ちが理解出来てしまった瞬間 俺はアクセプタンスを体験した… 振り返ると暗影は2020年4月17日 そこから9ヶ月と23日間 死線をさまよった 2021年2月9日 腫瘍根治 治療は成功し俺は救われた 死神は遠のいた 直ぐに死ぬ事はなくなったが もってかれたものは少なくない 癌には予後がある 再発リスクは付き纏う 5年生存率 10年生存率 日本人の二人に一人の理不尽は生涯続く… 今更、何を怯える 仮に癌じゃなくとも俺はいつか何かで必ずちゃんと死ぬ 生まれた時から其処へ向かってる 「哲学は死の練習」なるほど ソクラテスの言葉がここにきて腑に落ちる 愛すべき皆に囲まれ 人生に問を立て哲学に耽る事が出来る今日の俺はなかなか幸せ